「わたしは、あなたがたの神となるために、あなたがたをエジプトの地から導き出した。わたしは主である。」」レビ記 22章33節 (2017新改訳)

いけにえと聖なるものに関する定めと掟を示した後、最後に語るのは、イスラエルの民と神、主の関係です。

ここには「あなた方の神となるために」とのことばがあります。
しかし、神、主は始めから終わりまで神、主です。
誰か人が認めようと反発しようと否定しても、変わることがなく汚されることもなく、主です。

そしてここにはもう一つのことばがあります。
「あなたがたをエジプトの地から導き出した。」
ここだけを読むと、神となるための条件や必要を満たして、それでイスラエルの神となったように聞こえますが、そうではありません。
導き出したから、神となったのでも、神と認められる資格を得たのでもありません。

むしろ逆なのです。
私たちは、先に神、主から恵みをいただいているのにそれに気がつかないまま生きているのです。
そしてエジプトから導き出してくださったので、民が感謝して、この方を神、主としたのではありません。
神、主なのです。
ですから罪深い民をも見捨てないで愛していたので、導き出してくださったのです。
イスラエルが信じて従うべき、神、主なので、エジプトから導き出してくれたのです。
恵みを先に見せてくださった、味あわせてくださったのです。

これまでは知らないまま、神、主に恵みをいただいていましたが。
主がこう語ってくださるので、民は、この方が導き出してくださった方であり、自分たちの主なのだと知って、歩むようになったのです。
私たちは見ているようで見ていないし、聞いているようで聞いていないので、主は先に恵みを明確に見せてくださったのです。
そして宣言してくださる。
わたしは、あなたがたの主であると。

主が、こう言ってくださるので、私たちは、この方を主としてあがめ、親しくお会いできるのです。
シャローム