「あなたがたは、わたしにとって聖でなければならない。主であるわたしが聖だからである。わたしは、あなたがたをわたしのものにしようと、諸民族の中から選り分けたのである。」レビ記 20章26節 (2017新改訳)
20章は、モレクに自分の子どもをいけにえとして捧げるなと主は厳しく命じて、始まります。
アモン人が信じるのがモレク神です。
そこにいけにえを捧げるなとは、自分の身を汚すことになるからです。
自分が神の前に聖であることが求められます。
そしてそのきよさが、姦淫をするなという命令に繋がっているのです。
唯一人の神を愛することと、妻を愛することが続けて語られるのです。
神は、ここであらゆる面から聖であるようにと命じます。
その理由は、主が聖であること。
もう一つは、その聖なる神、主が、イスラエルの民をご自分の民としてくださったから。
即ち、ここ26節にあるとおり、諸民族の中から選り分けてくださったからなのです。
新約聖書のことばならば「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命した」ヨハネの福音書15章16節に繋がっています。
選ばれたとは、罪の中に沈んでいた私を主が、選り分けて、そこから導き出してくださったということです。
それなので、罪と汚れから離れて、聖であることを求めて歩むのが正しいのです。また、聖霊が助けてくださるので、それができるのです。
選り分けていただいたのだということを覚えて、日曜日の礼拝の場へと進み出よう。
シャローム