「ハレルヤ 神の聖所で 神をほめたたえよ。 御力の大空で 神をほめたたえよ。」詩篇 150篇1節

詩篇の最後となる150篇です。
詩篇は最初の1篇で「幸いなことよ」と、主を信頼し、信仰を持って生きる人の幸いを歌いました。
そして感謝の詩篇、悲しみ嘆く詩篇、力強い主をたたえる詩篇、主の助けを懇願する詩篇など、様々な内容で、主に向って声を上げてきました。
そして最後の詩篇は、ひたすらに主をほめたたえる賛美の詩篇です。

神の聖所でとは、礼拝の日に、礼拝の場所で、主をほめたたえよと促しているのであり。
思わず口から漏れる主への賛美の心です。
御力の大空でとは、神が造られた空、その空の下にあるあらゆる場所、すべての時間で、ほめたたようとのことばです。
一週間が礼拝から始まり礼拝へと帰って来るように、賛美から始まり、賛美に溢れ、賛美に帰って来ることを詩人は告白し訴えるのです。

詩人の主への賛美の熱い思いは「ほめたたえよ」と言う表現が、1節から5節までのすべての節で、対になり二回繰り返して声を上げていることを通して強調されています。
主をほめたたえることを詩人は強く訴えるのです。
主をほめたたえることを欠いてしまっては詩人の生活はむなしくなるのです。

賛美こそ私の命、私の生きる道、私の毎日になくてはならないものです。

そして詩人は、詩編は最後の最後に結びます。
「息のあるものはみな 主をほめたたえよ。 ハレルヤ」
ハレルヤで始まった150篇はハレルヤのことばで終わります。
詩人のハレルヤから始まり、すべての息のあるもの、この世界の生きるものすべてに共にハレルヤと主を賛美しようと声を上げて終わるのです。
いえ、終わるのではなく、ここからハレルヤとほめたたえる生活が始まっていくのでしょう。

感謝、懇願、痛み、悲しみ、嘆き、すべての思いと心が主への「ハレルヤ」に含まれています。
そしてひたすらに、主をハレルヤと歌えることの幸いを私たちは知っています。
シャローム