「〜私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」ヨブはこのすべてのことにおいても、唇によって罪の陥ることはなかった。」ヨブ記 2章10節 (2017新改訳)

もう一度サタンは神の前に来て告発するのです。ヨブの身体を打てば、苦しみから神を呪うはずだと、訴えます。
ヨブの全身が悪性の腫物で打たれ、身体をかきむしらなければならないほどの苦しみの中でも、ヨブは神を呪ったりしませんでした。
彼の妻は、神を呪って死になさいと、言うほどの苦しみなのです。
妻も、見ていられないほどの苦しみだったのでしょう。しかしヨブは神を呪いません。

幸いを受け取れば、神を賛美し。
わざわいを受け取ったら、神を呪うのか。
ヨブは、自分の唇に上る言葉で罪をおかしませんでした。

わざわいが神から来るわけではないのです。
しかし幸いを与えてくださる神の下に生きることを信じる人は、わざわいの中でも神の下に生きていることを信じます。
ですから、わざわいを受けたからといって、神を呪うのではなく、わざわいの中でも神を見上げて生きるのです。
神を呪うのは、神から離れて生きることを言います。
神を呪ってしまったら、どこで、どのように、誰に期待して、何を信頼して生きるというのでしょう。
サタンに期待するのでしょうか、別の神を探すのでしょうか。

しかし神の下に生きる人は、苦しみの中で叫んでも、神に期待するのです。
それはとても難しく、苦しい日々を通ることになります。だからこそ、ヨブのことばを知っていることが大切になります。
先人、ヨブに倣っていけるように、この10節の言葉を心に刻んでおきたい。
シャローム