「しかし、イスラエルの家は「主の道は公正ではない」と言う。イスラエルの家よ、わたしの道は公正ではないのか。公正でないのはあなたがたの道ではないのか。」エゼキエル書 18章29節

ここ18章は、繰り返しと比較して語る表現を用いて強調しています。
それは主が正い方であることと、イスラエルの家、人々が罪を認めない者たちであることを強調して示しています。
主の道は公正ではないのかと、主が人々に挑まれます。
25節にも同じ表現があります。
ここで人々は、主が悪しきことをおこなった者を赦すことを批判しているのです。
しかし、主は悪しき人が悔い改めて正しい道を歩むことを喜ばれて、赦すのです。
主の道は、罪を絶対に犯さない道ではなく、罪を悔い改めて立ち返って歩む道です。

反対に、自分のことを正しい者だとして、罪を悔い改めないで、他人の悪ばかりを責める者たちを主は赦さないのです。
批判する人も、実は主の前に告白し悔い改めなければならない悪しきことがあるのです。しかし、この人たちは、そのことを認めないで他の人の罪ばかり責めているのです。
人は、一人ひとりが主の前で、その人の生き方を問われるのです。
さばくことができるの主だけであり、赦すことができるのも主だけです。

主はいつも変わることなく公正な方です。
ですから、私たちは、たとえ主を信じた後で罪を犯してしまったとしても、もう一度まっすぐに主の前に出て、悔い改めることができるのです。
主は公正で、主は愛の方です。

シャローム