「ペルシャの王キュロスは言う。『天の神、主は、すべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるように任命された。あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神、主がともにいてくださるように。その者は上って行くようにせよ。』」」歴代誌 第2 36章23節 (2017新改訳)
聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、歴代誌 第2です。
王の治世について記す本書は、馴染みが薄い書からも知れませんが、歴史書としてではなく、説教集として読み進めると、とても興味深く、教えられることが多いものです。
第2は、ソロモンの神殿建設を最初に記していきます。ソロモン王がその父ダビデともに神殿建設に心を向けて力を尽くしたことを記します。
そして神殿礼拝を大切にしたことを記すのです。それが9章までの箇所です。
歴代誌は、王の治世を公文書によってその仕事を記録した文章というのではありません。
もちろん、偽りの歴史や王にとって都合の良い事実だけを記録して残させたということでも断じてありません。
では何か。
それは礼拝の歴史、説教としての歴史的事実の記録です。
イスラエルの民と王が、主なる神を信じて、そのことばに従って誠実に歩むときの幸いな歴史を、説教として、神殿礼拝の様子を残すことで示しています。
しかし、残念なことにイスラエルとその王の歴史は、背教の歴史でもあります。
主に愛されて恵みをいただきながら、その主に背き、好き勝手なことをして、滅んでいく姿が10章からの南ユダ王国の王たちの歴史に示されています。
そもそも、主に背くからこそ、ダビデ王国はその息子ソロモンで終わり、ソロモンの息子であるレハブアムの時代には南ユダと北イスラエルに分裂をしていくのです。
そして多くの王が、主のことばに従わないのです。
その結果、北が滅び、ついに南ユダも滅ぶ、その様子を記すのです。
南ユダから捕えられて、バビロン帝国の捕虜となり、捕囚の民の歴史を歩むことになったのです。
しかしそれでも主はあわれみ深い方です。
本書は、バビロン捕囚からの、解放宣言で終わっていることに注目をしたい。
主を信じる王ではないペルシャのキュロス王を、主は用いて、捕囚からの解放を宣言してくださった。
南ユダの民は、見捨てられていないことを記して、歴代誌は閉じるのです。
今を生きる信仰者である私たちは、このあわれみ深い神の前に、どのように歩むべきなのかを学びたい。
決して見捨てられないことを知って、私は、この神、主をどのように愛して、従うべきなのか。
聖書は、最初に聞け、と教えてくれます。
シャローム