「あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。」コリント人への手紙 第1 2章3節
この手紙の著者であるパウロの言葉としては驚きます。
ユダヤ人として、ローマの市民権まで持っており、ユダヤ教の教師としてはエリート中のエリートであり、実際にモーセの律法に誰よりも通じている優秀な人がパウロです。
そして自信に溢れ、語る言葉にも力があり、多くの人を導き、教えている人です。
それがパウロだと感じています。
ところがパウロは、自分は弱いと告白します。
弱いと告白することを恥とも思っていません。
そして初めて会うコリントの教会の人々を前にして、恐れおののいていたというのです。
主が、ヨシュアに「恐れてはならない」と、命じたことばを思い起こします。
パウロは何故、恐れおののくのでしょうか。
人々に受け入れられないかも知れないという不安からでしょうか。
それとも語るべき言葉が見つからなかったら、どうしたらよいのかと恐れたのでしょうか。
そうではないのです。
パウロは、自分が弱いことを知り、告白できることが、主の前に歩む者として正しいことを知っているので、このように言うのです。
恐れおののくのは、自分の力で宣教の業をしないように注意しているからの心の現れです。
主に、主に委ね、主に期待して、主の命じるままに語ることができるように、どこまでも謙遜になっているパウロの姿がここにあるのです。
人が弱さと恐れを知る時は、そこに主の強さと主の御力と主の愛が働くということです。
コリントで過ごしたパウロとは、主がパウロを通して働かれるのを現していた信仰者なのです。
イエス様を信じる信仰者のあるべき姿です。
シャローム