「あなたがヘブル人の男奴隷を買う場合、その人は六年間仕えなければならない。しかし七年目には自由の身として無償で去ることができる。」 出エジプト記 21章2節

男女の奴隷に関する規定が示され、それに続き財産である家畜についての規定が示されます。
そのいずれも命の問題から細かな保証に至るまで示されます。
特に心を留めたいのは、ここ2節にある「無償で去ることができる」と、8節の「彼女が贖い出される」ということです。

奴隷の扱いに関しては、当時としては非常に手厚く守られていることがわかります。
それ以上に大切なのは、無償で去ることができるという規定が最初から定められていることです。
無償で去るとは、奴隷ではなく自由の身になることです。
贖い出されるは、買い戻されると言う意味です。

即ち、困窮して奴隷となっていくしか方法がなかったとしても、その人は初めから終わりまで主のもの、主の御手の中にあるものです。
ですからいつまでも他の人の財産、所有物として扱われることはできません。
また、主人の気に入るか気に入らないかで、女奴隷が不当に扱われることがないように、買い戻される道が最初から示されるのです。

奴隷を持つのは、財産が増えて主人が一方的に得をするのではなく、一時期だけ、主から預かり、その人を保護するような意味もあるのです。
それは主が、どんな状況であっても一人ひとりを大切にされることを教えています。

いずれにしても覚えるのは、私たちは自由であり、その自由とは主の御手の中にあるからだということです。
私たちが歩む七年後、私たちが歩む人生の先には、主にある自由な時、主とお会いする喜びの解放の時が待っているということです。
私たちは、なにものにも支配されない。罪にも支配されない。

シャローム