「祭司は、その女を進み出させ、主の前に立たせる。」民数記 5章16節 (2017新改訳)
律法によれば汚れていると定められる人は、宿営の外に追い出されるとのことばに始まる5章です。
その上、人の妻が不貞を働いたと疑われる場合の扱い、判定の仕方が細かく記されていくのです。
一読するだけでは、現代に生きる私たちには、偏った規定のように思えるのが、正直な所の、第一印象でした。
しかし、もちろん主は偏ったことをなさらず、偽りや愛のない行動は取られません。
主は、罪人さえも愛して、赦しと回復の機会を備えていてくださるほどなのです。
罪人さえも、見捨てず救おうと、ご自身を犠牲にして動かれる方です。
それはここでも変わりません。
妻が疑われる場合も、夫が妻に対して不誠実な態度を取る場合も、主は公平にさばき、愛をもって導かれるのです。
さばきは裁判官、律法の担い手ではなく、主に仕える聖い祭司が受け持つのです。
すべての人は、主の前に立って、申し開きをするのです。
そしてさばきを受けとることになるのか、赦しと名誉の回復を与えられていくのです。
疑われた時に、自分で弁明をするよりも、すべきことがありました。
主の前に立つ。
主の前に心のすべてを注ぎ出す。
これが私たちがいつでもするべきことです。
日曜日から土曜日までの毎日の日常でそうすることで、非日常の出来事が起きた時にも、巻き込まれた時でも、主の前に立つことを恐れずにできるのです。
そして主の守りと助けを得るのです。
主の前に立つことを私の毎日の大切なことにしたい、
シャローム