「ある日、神の子らがやってきて、主の前に立った。サタンもやって来て、彼らの中にいた。」ヨブ記 1章6節 (2017新改訳)

水曜日ですが、新約聖書の最後の書までを読みましたので、しばらく火曜日に続けて同じ書を読むことにします。
そして今日からは、ヨブ記です。

ウツの地に住むヨブが経験した試練について記します。
1章でヨブの身に起きる出来事は、人の想像をほえた悲しく恐ろしいことです。
大切な財産としもべたちがすべて奪われ、続いて子どもたちまで亡くなるのです。
しかも、それはサタンが背後で動き、ヨブを試して、主に背かせようとしているのです。
それも主は、サタンがそのようにすることを、サタンに任せています。

何故、このようなことが起きるのか。
何故、主は、サタンのおもうままに任せられたのか。
もちろん、ヨブには、自分の身に実際に起きていること以外は知ることができません。
主とサタンとの間で交わされた会話も知りません。

子どもたちさえも、一瞬のうちに亡くなったとき、ヨブは最大限の悲しみをその身で現し、嘆き悲しみながら、しかし礼拝をします。20節。
そして主をほめたたえて、自分はすべてを失っても主の下へ裸で帰ると、告白します。
サタンが考えたように、ヨブは主を恨みませんでした。

何故、ということしか言えない1章でヨブの身に起きたことです。
唯一つ、ここ1章読むと分かることは、それでもサタンは主の前にいると言うことです。
どんなに悲しく酷いことが起きても、恐ろしくても、私たちを主の御手からサタンは奪うことはできないのです。

サタンは主の支配下にあります。
サタンがどんなに酷いことをしても、どんなにか恐ろしいことを企んでも、私を主から引き離すことはできないのです。

その時、私たちはただ、悲しみを現し、涙し、力を失っても、主を見上げることを忘れないようにすることだけは大切なことなのです。
「主の御名はほむべきかな」この賛美はいつも私の唇に上らせるのです。
シャローム