「この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである。」 ヨハネの黙示録 1章3節
ヨハネが主に直接この書を書き残すように命じて記された書です。
当時の教会は迫害に会っていました。信仰者を励まして、やがて訪れる主の再臨の時を待ち望むように勧めるために記されました。
主イエスが再びこの地上に来てくださると言う約束があります。
主の約束はこれまでもすべて実現し果たされてきました。
17節に「わたしは初めであり、終わりであり」と記されています。時を造り、歴史を支配される方が、終わりの時に、もう一度地上に来られて、すべてを新しくされる約束です。
ですから、この書は、世の中に流れる地上の世界が終わってしまうという終末論とはまったく違います。
ここ3節にある通り「幸い」なのです。
主がヨハネを通して語ってくださった終末の日に起きることは、私たちがそれを聞いて恐れたり悲しんだりするものとは違います。
主の遠大なご計画があり、そこにイエス様が人として地上に生まれ、十字架に死に、よみがえられることがあり、そして今、天の御国に昇られたイエス様が再び地上に来られる日が近いのだと教えているのです。
主のご計画は恵みの計画であり、それを信じる私たちには幸いなのです。
迫害に会っていても、涙する日が会っても、私たちはもう一度イエス様に会えるのです。
そしてその日は、時を司る主にあっては、明日の朝のことかもしれません。
時は近いのです。
主の励ましのことばを受け取って幸いな朝を迎えて、大切に一日を歩みたい。
アーメン。主イエスよ。早く来てください。
シャローム