「わたしは生きているー神である主のことばー。彼は、自分を王位に就けた王との誓いを自ら蔑み、また、自ら契約を破ったので、その王の住む場所、バビロンで必ず死ぬ。」エゼキエル書 17章16節

ここ16節と19節で主はイスラエルに向かって「わたしは生きている」と繰り返します。
イスラエルがバビロンの支配下にあった時、その背後にも主の摂理がありました。
イスラエルの国とバビロンの国との契約であっても、そこには主のご支配と導きがあったのです。
しかし、イスラエルの王は、バビロンとの契約を破り、エジプトに頼りました。

主は、国と国との契約の背後にも働き、最終的には愛するイスラエルを祝福しようとご計画をされます。
しかし、王とイスラエルの人々が、契約を軽んじて自分たちの知恵と計画に頼り、焦って恵みを求めるならば、それは失敗するのです。
生きて働かれる主を信じて歩むことが大切です。
困難の中にあっても、主は最善をなしてくださるのだということを信じて行くことが求められます。
待つこと、主の解決が与えられることを待ち望んで忍耐することが必要です。
目の前にのみ見えるエジプトという助けを求めて先に自らが結んでいた契約を破るなら、主は、そのような歩みに対して助けを与えてはくださらないのです。

人の契約であってもそれを守る時には、主は恵みを持ってそこに働いてくださるのです。
しかし、反対に人との契約であっても、それを自ら破る者を主は祝福することはないのです。
生きて働かれる主が、私をいつも導いてくださっていることを覚えて、自らの行動を選んでいきたい。

シャローム