「ケハテ族の会見の天幕での奉仕は、最も聖なるものに関わることで、次のとおりである。」民数記 4章4節 (2017新改訳)
ここには特別な時代の奉仕に関わることが記されています。
時代は出エジプトの時代です。即ち天幕、現代の教会で言うならば、教会堂、その中心となる講壇、聖餐式周りの機材を運ぶ奉仕について記されます。
ケハテ族がこの奉仕に当たります。主がその担当を定め命じました。人が勝手に変えることはできません。
代わることができない大切な奉仕があるのです。
職業に貴賎がないように、奉仕にもどれかが優れている奉仕で、そうでもない奉仕と言うものがあるのではありません。
しかし天幕の移動、移設。あかしの箱をどのように扱うかは、人が決めるのではなく、主の命じた方法があります。
18節には、この奉仕に当たるケハテ族を絶やしてはならないと、命じられています。
最も聖なる奉仕があることを聞かされ、その奉仕に携わるケハテ族の仕事を見て、人々は神の聖さをもう一度確認するのです。
自分たちの目の前に聖なる神の天幕があることは当然のことではなく、主の恵みなのだと知るのです。
そして最も聖なる奉仕があることを通して、最も聖なる神様の存在を知り、その聖なる神様がともにいてくださる恵みを知るのです。
奉仕に終わらないのです。
最も聖なるものはあります。
今、私たちは聖なる神様を礼拝する日曜日の礼拝の時間とその行為を、私の最も聖なるものとして、行っているでしょうか。
緊張と喜びと感謝を持って168時間の中の最も大切で聖なる1時間だと、理解し、信じて捧げているでしょうか。
この1時間を絶えさせてはならないと、18節の言葉とともに今日を過ごしたい。
シャローム