「しかし教会では、異原の一万のことばを語るよりむしろ、他の人たちにも教えるために、私の知性で五つのことばを語りたいと思います。」コリント人への手紙 第1 14章19節

14章は「異言」について語ります。
コリントの教会では、異言を語る人と語らない(語る賜物が与えられていない)人が居て、混乱が生じていました。
イエス様の愛で満たされ、一つとなって平和なはずの教会が、混乱し分裂の危機があったのです。
それを知ったパウロは、前の13章で愛について語り、この14章の冒頭で「愛を追い求めなさい」と、一番大切にすべきことを示したのです。

さて異言とは何でしょう?
どの国の、どの民族、部族の中でも使われていない言語です。
自分が知らない言葉ではなく、神が与えてくださった通常の言葉ではない言語です。
だから異言です。
その場で聞いただけでは分からない言葉、内容です。
語っている人も分からない。
ですから、同時に説き明かす人が、神から立てられているはずなのです。

コリントの教会の問題は、異言そのものではなく、異言を語る人とそうではない人との間にある争い、誤解、なくしてしまった謙遜です。
異言を語っても、語ることができてもそれはその人が他の人より立派だとか優秀だということではないのです。
すべては主イエスの愛を伝え、人々を神の前に招くことに用いられなければ意味がありません。

と、パウロは異言を語る賜物も持っていたようですが、実際に教会で語ったのかどうかは不明です。
パウロにとって重要なのは、イエス様に仕え、愛を語り、愛を実践することでした。

「私の知性で五つのことばを語り」とは、パウロが自分の知識や能力を誇って居るのではありません。
パウロが冷静にキリストの愛をもって人々に接して福音を語ることです。
多くの異言を語り、何度も語ることより、わずかな言葉でもキリストの愛を語り、イエス様の愛を実践することを追い求めて行くことをパウロはするのです。

私たちも日常において、たった五つでもよいので、キリスト・イエスの愛を表す言葉語りたい。
そして、その言葉の通りに愛を実践したいと祈り求めます。

シャローム