「「イスラエルの全会衆を、氏族ごと、一族ごとに調べ、すべての男子を一人ひとり名を数えて、その頭数を調べよ。」民数記 1章2節 (2017新改訳)
今日から「民数記」を読みます。
荒野で、人口調査をおこなったので「民数」人数を数えてたという意味が書名になっています。
そしてその書名にふさわしく、1章の初めに、荒野での第一回目の人口調査の結果が記されます。
主に直接仕える祭司の部族であるレビ部族を除いて、すべてのイスラエルの部族が数えられて、登録をされます。
どの部族も公平に数えられて、登録されます。
その価値は同じなのです。
各部族を代表する族長の名前も、同じようにここで記されます。
人数を数え、登録すると言うことは、その人数が間違いのないことを他の部族の前に明らかにし、主の前にすべてを出していると言うことです。
そして大切なのは、この一人ひとりが、主に愛されていることです。
ただ、頭数を数えてのではありません。
一人ひとりが、大切に扱われ、導かれてエジプトの奴隷の鎖から解放されて導かれているのです。
主は、数が知りたいのではありません。
ここで登録された、おびただしい数の氏族の、一人ひとりが主に愛されていると言うことを、イスラエル人が知るために数えさせたのです。
すべての人が漏れることなく、数えられて登録されました。
すべての人が、大切に名を呼ばれて、主の御翼の下に守られているのです。
「名を指して友の安否を問え」と、新約聖書でヨハネは手紙の中で記しました。
主は、私の名を知っていてくださり、名を呼んで、愛してくださるのです。
そこから主と私の関係が始まっています。
シャローム