「完全のものがあらわれたら、部分的なものはすたれるのです。」コリント人への手紙 第1 13章10節
13章は「愛」について語ります。
パウロが、自分の命を犠牲にして誰かのために仕えても、その働きに愛がなければ、意味がなく、無意味だとまで語ります。
続けて愛の持っている性質について語るのです。
愛について一通り語った後で「完全なものが現れたら」と、語るのです。
今、パウロの前には完全なものがあります。
完全な愛があるのです。パウロは知っています。
それはキリスト・イエスです。
隣人のために自分の身を犠牲にしても、愛がなければ意味がないとまで言い切ったパウロでした。
意味のある犠牲、隠すことができない愛そのものが、イエス様によって示されたのです。実践されたのです。
愛は、イエス様によって明らかにされました。
愛は見えないようですが見えます。イエス様において見えます。
そして、イエス様の愛は、すたれることがありません。
イエス様の愛は、それを知った人に留まり、そこから広がるのです。
シャローム