「シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」」ルカの福音書 22章33節
イエス様が十字架で処刑される直前の、弟子たちとの最後の交わりの会話です。
死ぬことも恐れず、覚悟ができていると自ら発言したペテロことシモンです。
しかし、シモンはこの後、捕縛されたイエス様のことを3度も知らないと否定した上で逃げ出すのです。
シモンは間違っていました。
自分の覚悟など、一瞬の内に消えてなくなるのです。
死の覚悟も、次の瞬間には死への恐れから消えてなくなります。
その後に残るのは、自分で自分を守ろうとして失敗する愚かな知恵と、繰り返す不安です。
しかし、このシモンはよみがえられたイエス様にお会いして、もう一度立ち上がり、今度は弟子として死にまで従い通す信仰者に変わりました。
それは一つ前の32節に記されるとおり、シモンのためにイエス様があらかじめ祈っていてくださったからです。
私の信仰は私の覚悟で強くなったりするのではなく、主に導かれ祈り支えられて、成長するのです。
また、私がイエス様とどこまでもご一緒しますと覚悟するのではなく、私の歩みにイエス様がいつも見捨てないでともにいてくださるのです。
私はイエス様についていきます。けれどもそれは、弱い私をイエス様は前から導かれ、後ろから支えてともにいてくださるから実現するのです。
私の毎日には、覚悟ではなくて、イエス様がいつも私といてくださることに信頼して委ねる心が大切です。
今日もイエス様が私とともにいてくださる喜びを味わう一日としたい。
シャローム