「そこで私は、兄弟たちに頼んで先にそちらに行ってもらい、あなたがたが以前に約束していた祝福の贈り物を、あらかじめ用意しておいてもらうことが必要だと思いました。惜しみながらするのではなく、祝福の贈り物として用意してもらうためです。」 コリント人への手紙 第二 9章5節
ここでもパウロは、コリントの教会が最初に計画をした通りに、献金を用意していてくれることを願っていることを語ります。
困窮している教会、助けを必要としている教会があるのは確かなのです。
支えよう、助けようとの思いがあって、コリントの人々も献金の準備をしたのです。
当初の予定通りに、それが進んでいるのかが心配になったパウロなのです。
しかし、心配だとは言いません。しっかりするようにと厳しく教えるのでもありません。
献金、隣人を助ける献金とはいったいどのようなものなのかを教えてくれます。
それは「祝福の贈り物」なのです。
受け取る人、教会にとっては必要を満たしてくれるささげ物であり、祝福も受け取っていけるものなのです。
困窮、欠けがあるところから、満たされて、祝福に溢れる時になります。
同時に、支えた側に取っても主の祝福を受け取る時となります。
隣人を助ける献金は、私を祝福しているのです。
ささげなければ、この祝福を味わうことはできません。
ですから、惜しみながらとか、嫌々ではなく、心から喜んでささげたいのです。
私が隣人に他の教会のために手を開くならば、その時、既に主はその御手を開いて、私を祝福していてくださるのです。
シャローム
