「たとえ、そこにノアとダニエルとヨブの、これら三人の者がいても、彼らは自分たちの義によって自分たちのいのちを救い出すだけだー神である主のことばー」エゼキエル書 14章14節
14章は、象徴的な表現を繰り返して、とても強く民の罪を訴え、さばきを逃れることはできないことをも示します。
真の神以外の偶像の神々を崇めながら、主に祈る者は、自分の顔の前に偶像の神々を置いて、祈っているような者であり、そのような祈りには主は答えないと、繰り返します。
その上で、ここ14節でノアとダニエルとヨブの三人の名前をあげます。
義人の代表としてその名をあげているのです。
そしてこの三人が、民の罪のために、執り成しの祈りをしたとしても、主はさばきを止めることはないと、繰り返します。
14節、16節、18節、20節と、繰り返すほどの強い表現です。
それはこの時の民の罪がどれほど大きく深いものなのかを現しています。
そして彼らは心の中に偶像の神々を抱いたままで、主の前に悔い改めることがないのです。
その民のために執り成しをすることは誰にもできません。
人は、自分の罪を心から悔い改めて、主の恵みによって赦しを受け取るのです。
他の人に頼ること、代わってもらうことはできないのです。
シャローム