イースターの日曜日です。
受難週の七日間をヨハネの福音書を12章から読み進めて来ました。そして今朝、主イエスがよみがえられたイースターの朝を迎えました。

「こう言って、イエスは手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは見て喜んだ。」ヨハネの福音書 20章20節 (2017新改訳)

イエス様は金曜日に確かに十字架の上で死んでしまったのです。
その証しに、イエス様の身体には、十字架にはりつけにされた手の傷跡があり、脇腹を刺された時の傷跡が残っているのです。
しかしイエス様は、死を経験して、その死を打ち破り、よみがえられたのです。
この傷跡は、イエス様が死に対して勝利された目に見える証しでした。
そしてそこには新しい身体をとったよみがえりの主イエスがおられるのです。

空の墓を見て信じ。
傷跡を見て喜んだ。
その弟子たちが語り続けてくれた証しを聞いて、私たちは今、イエス様を、私の救い主と信じています。
これは二千年前に、エルサレムの部屋の中に居なくても、そして空の墓を目撃しなかったけれど、信じることができる、最高の喜びであり、確かな信仰です。

主イエスは、私を罪から救い、永遠のいのちを持ってイエス様とともに生きる者としてくださるために、私に信仰を与えてくださった。
すべては神様のご計画の通りでした。
そして現在、私がイエス様を信じて歩むようにと、イエス様は私を選び、召し出してくださった。
この召しに応えて歩む時、歩み続ける限り、私たちは失望することがありません。
罪に苦しみ、滅ぶこともありません。
喜びの朝を迎えるのです。
いえ、迎えたのです。

主よ。新しい朝を与えてくださって感謝します。
あなたの十字架の犠牲があったので、私は罪から救われました。あなたを信じるという、ただ、そのことのみでこの恵みと祝福を受け取ったのです。
そして喜びを与えられました。失うことも、変質することもない喜びです。
イースターの朝に、あなたとお会いできることを心から喜んでいます。
そしてマリアに習ってこう告白します。
「愛する主。ラボニ。」
あなたがわたしを愛してくださったので、私は今朝、特別な朝を経験しています。感謝します。
アーメン

私には救い主イエスが必要です。このイースターの朝が必要です。
シャローム