「たくさん集めた人にも余ることはなく、少しだけ集めた人にも足りないことはなかった」と書いてあるとおりです。」 コリント人への手紙 第二 8章15節
イースターの記念礼拝の日曜日です。
主の約束が成就してことと主の豊かな恵みが、私たちに与えられていることを覚えたい。
パウロはピリピの教会からコリントの教会に向けてこの手紙を書いているようです。
ピリピの人々は、まず自分を神にささげて、それから困難の中にある教会と人々のために献金をささげたのです。
その姿は信仰者と各教会の見本であり、献金の基本でもあるのです。
パウロは、1節から献金をささげることは、神からの恵みであると言います。
受け取る側ではなく、ささげる人にとって恵みの時であり、経験となるのです。
今、コリントの教会は献金を送ろうとして準備したのです。
ところが、それが上手く進んでいないのかも知れません。それなので、パウロは献金をささげて、困難を覚えている教会に送ることは、コリントの教会にとって恵みとなると語ります。
そして、ここ15節で、出エジプトの時代に、朝毎に主がマナを降らせてくださり、養ってくださったと時、誰一人として乏しくなることはなかったことを、思い起こすように示すのです。
ささげた人は、乏しくなるのではなく、むしろ豊かになるのだというのが、パウロの教えることです。
いや、主の恵みを思い出して、心からささげようと、パウロは言いたいのです。
主イエスを信じた人は足りなくなることはないのです。
主は、約束を守ってくださり、私たちを豊かにしてくださるのです。
何よりも、主はご自分の命を犠牲にしてささげ、私たちの罪を赦してくださったのです。
その恵みは、私たち一人ひとりに等しく豊かに与えられています。
恵みと祝福の中にいる者として、ささげる人となっていきたいものです。
シャローム
