「そのとき、エラムの子孫の一人エヒエルの子シェカンヤが、エズラに言った。「私たちは、自分たちの神の信頼を裏切り、この地の民である異国人の女を妻にしました。しかし、このことについてイスラエルには今なお望みがあります。」エズラ記 10章2節 (2017新改訳)

エズラ記が最後に記すのは、この地において外国人の女性を妻にしていた人の名簿です。
それは神のことばを破る罪でした。そして、その人たちは、祭司、レビ人、民の長という指導たちの中にもいたのです。
10章はこの後、外国人の妻を離縁した人の名前を上げています。
これは差別ではなく、先に神と結んでいた約束を破ったことを認めた者たちが、神の前に悔い改めて行動して、神の赦しを求めているのです。
特別な時の行動です」現代に当てはめることはできません。
しかし、彼らにはこの時、必要なことでした。

ここ2節で、エズラに対して告白しています。
「今なお望みがあります」
これは悔い改めるのであれば、と言う意味です。

彼らは、この時神様との大切な約束を破ると言う罪を犯してきたことを認めて、悔い改めることを自ら告白したのです。
神は、捕囚からの解放と言う恵みを与えてくださり、先祖たちが酷い罪を犯したのに、赦しを与えてくださった。
あわれみ深い神なのです。

その方の前に悔い改めますと言う告白と赦しを求める希望があるのです。

ここには多くの名前があります。
それはそれほど罪が大きく深かったということです。
しかし、今なお望みがあります、と私たちの神にいつも告白できる者でいたいのです。
シャローム