「聖なる亜麻布の長服を着て、亜麻布のももひきを履き、亜麻布の飾り帯を締め、亜麻布のかぶり物をかぶる。これらが聖なる装束であり、彼はからだに水を浴びて、それらを着ける。」レビ記 16章4節 (2017新改訳)

贖罪の日のことについて教え、祭司への警告と民のための方法を示します。
ここで祭司が身に着けるのは四つ装束です。
長服、ももひき、飾り帯、かぶり物の、4つ。
それぞれは亜麻布で作られています。
他の日に祭司が着る装束とは別のものです。
亜麻布であることだけが示されます。
宝石や高価な布は持ちていません。

祭司が主の前に頭から徹頭徹尾、へりくだることを表す大切な装束です。
祭司は、からだをきよめてからこれを身に着けます。
高価な装束ではありませんが、もっとも価値のある装束であるとも言えます。

そして2節には、祭司といえども、自分勝手なときに聖所に入ることはできないと厳しく戒められています。
へりくだり、民の代表として仕え、自分の罪をきよめていただくためにもいけにえを献げ。
祭司は主に仕えます。
仕えるとは、主のことばをすべてその通りにおこなうことです。
何も考えずに言うことを聞くと言うのではありません。
主が与えてくださった律法を、すべて守ることで、主の与えてくださる恵みの意味を知り、確かなものとして受け取るのです。
主に仕え、主のことばに聞き従わなければ、分からない恵みと祝福、平安があるのです。
そうでないと、エデンの園でアダムとエバがおこなったのと同じ、自分の目に好ましいことをするという方法で主に仕えるようになってしまうのです。
祭司は、誰よりもへりくだり、誰よりも確かに主のことばを聞くようにします。

今、私たちは新約聖書の時代に生き、万人祭司と呼ばれ、一人一人が主に祈ることも許されています。
それは恵みであり、喜びです。
それだからこそ、へりくだり、真に価値のあるものをこの身に着けて、主のことばを聞く姿勢を毎日持ち続けていきたいのです。
特別な贖罪の日を、私たちは待たなくて良いのです。
その分、自分勝手にならないように、へりくだり、主のことばに聞くことを大切にして、今日も聖書を開き、祈りたい。
貴方が今身に着ける「亜麻布の長服、ももひき、飾り帯、かぶり物」は何でしょうか。
へりくだっていることを証しできるものをこの身に着けたいものです。
シャローム