「彼はただちに、彼女の後について行く。 牛が屠り場に引かれて行くように。 足かせが愚か者を懲らしめているかのように。」箴言 7章22節

ここ7章でも引き続き、姦淫の罪に対する警告です。
6〜23節は、一人のわきまえのない若者が、遊女の誘惑に負けていくのかを具体的に示しています。
その誘惑の先は、楽しみ喜びではなく滅びです。
それを免れることはできません。
その女性の後について行ってはいけないのです。

牛が、屠り場へ引かれて行けば、その先には死が待つことは確定しています。
足かせがつけられている人とは、死刑が確定している犯罪者のことです。
この人も、牛と同じように、その先に待っているのは死刑というさばきです。

一時の快楽に誘惑されてしまうと、間違いなくそこには滅びが待っています。
罪の誘惑から逃れるのは、自分の意思や経験ではありません。
神さまが語ってくださる知恵のことばに、素直に聞き従うことでのみ逃れることができます。

誘惑を避けようとするのではなく、神の知恵を聞いて従おうとすることが大切になるのです。

ここで「ただちに〜ついて行く」とあることが刺さります。
私たちは誘惑には、あっという間に負けてしまうことが強調されているのだと思います。
神の知恵に聞き従うのは、こうした朝ごとのみことばへの信頼と聞くことを積み重ねていくしかありません。
しかし、誘惑にはあっという間に、私たちは負けて飲み込まれてしまう。

前の第3版では「ただちに〜付き従い」が、22節の文章の最後に来る書き方をしていますが、2017版のように文章の最初に来る翻訳の方が、より誘惑の危険を教えてくれる書き方だと感じます。
シャローム