「このことが追求され、その事実が明らかになったので、彼ら二人は木にかけられた。このことは王の前で年代記に記録された。」エステル記 2章23節 (2017新改訳)
エステルの養父であるモルデカイは、クセルクセス王が住むスサの王宮で門を守る一人として仕えていました。
ある時モルデカイは、王を暗殺しようとする計画を知り、それを既に王妃となっていたエステルを通じて伝えるのです。
その結果、暗殺計画は失敗し、首謀者の二人は処刑されます。
その事実は王の前で記録されたと、ここにありますが、それは正式に記録されたと言うことです。
しかし、、モルデカイには報償もなにもありません。
また、捕囚の民の身分であるモルデカイなのですが、支配者でもある王を助けることは、主の前に正しいことをするという姿です。
ですから見返りも求めなかったのでしょう。
隠れたところで正しいことをする信仰者の行ないは、私たちが見ることのできない方である神、主に見られて覚えられているのです。
私たちはいつも、この主の前に、主の目に見られていることを大切にして正しいこと、愛のあることをおこないたい。
この後、ユダヤ人の虐殺計画が進んで行った時に、王は、この隠れていたモルデカイの良い行ないを発見して、それがユダヤ人を救うことになります。
隠れたところでおこなわれた正しいことは、また次に、隠れたところでおこなわれる主の業に用いられて、本当に大切な恵みと祝福を受け取ることになります。
今、私たちは「必要で緊急」な主に日の礼拝に同じ場所に集まることや声を張り上げて主を賛美することができない状況に置かれています。
でも、いやだからこそ、隠れたところで、私たちが一緒に集う時以上に、心を一つにして、主を見上げ、礼拝を献げていくならば、主は、必ずそれを顧みてくださり、次には、明るいところで、私たちを一つにまとめ祝福してくださるでしょう。
エステルとモルデカイに、主の助けがあったように私たちにも主の助けは今日も届くのです。
主が聖なる日であると、教えてくださった日です。大切に一日を過ごしましょう。
シャローム