「七日目になって、民の中のある者たちが集めに出て行った。しかし、何も見つからなかった。」 出エジプト記 16章27節
民が主に向かって呟きました。
エジプトにいたときは、肉鍋のそばに座り、パンを満ち足りるまで食べていたのに、今は、食べるものがないと文句を言ったのです。
主は、直ちに彼らをさばくのではなく、毎朝、天から「マナ」と呼ばれるパンを降らせ、夕方にはうずらの肉を与えてくださった。
そして、七日目の安息日には、集めなくてよいように六日目にだけ二日分を与えました。
七日目にはマナは降らないと言われているのに、罪深い者たちは、集めに出かけるのです。
そして、何も見つかりません。
主のことばに信頼して従う時に、私たちは満ち足りるのです。
エジプトでは奴隷でした。
食べるものが豊かにあったという事実はありません。
苦しめられていました。
不足だったのです。
ところがエジプトを離れ、荒野の旅で苦労を経験すると、解放された喜びよりも、不満を口にするのです。
それが人です。罪人の本質です。
六日目には、翌日に困ることがないように主は二日分を与えてくださっていました。
満たされていたのです。前もってです。
ところが、感謝と信頼を忘れた人は、自分で自分を満たそうと出かけて行くのです。
もちろん、満たされません。既に満たされているのですから。
満ち足りるとは、神様に信頼して従うときに経験できるのです。
何も見つからない朝ではなく、既に、神様に満たされていることを知るのが、信仰の朝です。
シャローム