「地とそこに満ちているものは、主のものだからです。」コリント人への手紙 第1 10章26節
偶像に献げられたと言われる肉を食べるのか避けるのかは、自分の信仰の良心の問題とは違うのだと、パウロは別の視点を与えます。
偶像は、どこまでいっても偶像なのですから、存在しません。
ですから、真の神だけを信じており、偶像を信じていない人にとっては、偶像に献げられたとされる肉も他の肉と変わらないと言うことができます。
しかし、信仰において弱い人は、偶像の肉の扱い方一つで傷ついてしまうのです。
ですから、パウロは他の人の利益を求めなさいと、24節で教えます。
利益を求めるとは大胆な言い方ですが、他の人を愛して、その人のためになる方法を選び取りなさいということです。
私たちが食べ物のことで心を乱されるのは残念なことです。
しかし、ここに示されるとおり、この世界のすべてのものは、主がお一人で造られて、今も支えておられます。
肉も水も他の一切のものは、主が所有者でありその主権を持っておられます。
ですから、誰かが偶像に献げたのだと、言っても主の所有と主権を脅かすことなどないのです。
ですから、すべては主のものであると知っているならば、私たちは、これはこれ、あれはあれと、使い分けて食べたり飲んだりする必要がありません。
すべてのものは、本来、主が私たちのために備えてくださったのだからです。
すべてのものは、主のもの。
あなたも、私も主のものです。
そのことを知っており、信じる人は、幸いです。
食べるもの、持つもので心を乱されることがありません。
シャローム