「一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。「神様、罪人の私をあわれんでください。」」ルカの福音書 18章13節

宮で祈る二人の人です。この人の前に祈ったのはパリサイ人です。
彼は心の中で、この取税人のような罪人ではないことを誇りつつ、宮で律法に従い十分の一を献げていると、祈ったのです。
取税人や他の人々と自分を比較し、自分を正しく立派であると誇ったのです。
感謝しますと、11節で祈っていますが、パリサイ人は神様に何を感謝したのでしょうか。

一方の取税人は、自分が町の人々から嫌われていることも罪人と指差されていることも知っています。
いいえ、それ以上に自分が神様の前に罪深い者であると知っています。
ですから、宮に上っていながら、彼は祭壇に近づくこともなく、遠く離れて立って祈ります。
それも自分の罪深さを嘆き苦しんで、胸を打ちたたいて祈るのです。
取税人はそのようにしか祈ることができませんでした。
神と自分の関係を思う時に何一つ誇ることなどないことを知っています。痛いほど知っていますから、胸を叩くのです。
それは彼の涙であり祈りの音です。
神様のあわれみを求めるほかには祈ることばがありません。
天の神を仰ぎ見るのも遠慮してしまうのです。

でも、神様が喜んで受け取られたのはパリサイ人ではなく、この取税人の祈りです。
神様と一対一の関係を求め、心の底からの真摯で飾ることのない祈りこそが、私たちが祈るべき祈りです。
胸をたたき、涙とともに祈ることを経験していきたいと思う朝です。

週の初めの礼拝の日、朝の祈りを心から祈りたい。

シャローム