受難週です。イースターの日曜日まで、ヨハネの福音書を12章から読み進めて、イエス様の歩まれた十字架への道を辿ることにします。

「「あなたがたは心を騒がせてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。」ヨハネの福音書 14章1節 (2017新改訳)

イエス様は、あと少しで、世はイエス様を見なくなるとも、語られます。19節。
それはイエス様が人々の憎しみと偽りによって殺されるからです。
十字架の上で死ぬことで、多くの人々はイエス様を見なくなります。そこですべてが終わったと考えるのです。
でも、愛するイエス様が死んでしまっていなくなったと、心を騒がせてはいけないのです。
イエス様は、死んでよみがえり永遠のいのちを持って生きるようになることを私たちに見せるためにいなくなるのです。
しかし信じる人は、再びイエス様を見るのです。
そしてイエス様の姿に、自分が死んでも生きるのだという神さまの真実を見るようになるのです。

父なる神様とイエス様を信じることが求められるのが、十字架の上の死です。
しかし十字架の死の先に、その上に神様の約束を見ることができる人は幸いです。
心を騒がせるとは、自分の考えや経験、そしてこの世の価値観で、生きようとする時に起きることです。
しかしイエス様のことばを信じる人は、心を騒がせるのではなく、静かにイエス様のことばを待ちます。
わたし、イエスとともに、永遠に生きるようになると、私たちを見捨てて孤児にはしないという、その声を聞くことができるはずです。

神様の声に隠れたのは、罪を犯したアダムとエバでした。
しかし神様はどこまでも私たちを探し、隠れているところから連れ出してくださり、光の元で生きるようにと、新しい道を備えてくださったので、感謝します。
いつも神様の声を聞くことができる私でいられますようにと、祈ります。
あなたのことばを安心して聞き、期待して待つことができる者でいさせてください。
心が騒ぎ立つ日には私の心とたましいに触れてください。
あなたがいつもともにいてくださることを感謝します。
あなたを信じます。あなたに委ねます。

受難週の三日目の歩みが祝福されますように。
シャローム