受難週です。イースターの日曜日まで、ヨハネの福音書を12章から読み進めて、イエス様の歩まれた十字架への道を辿ることにします。

「さて、過ぎ越しの祭りの前のこと、イエスは、この世を去って父のみもとに行く、ご自分の時が来たことを知っておられた。そして、世にいるご自分の者たちを愛してきたイエスは、彼らを最後まで愛された。」ヨハネの福音書 13章1節 (2017新改訳)

イエス様は十字架の死を目前にされて何をされたでしょう。
弟子たちを、最後まで愛されたのです。
先生でもあるイエスが、しもべの仕事である足を洗うということを弟子たちに対してされました。
それもご自分の方から立ち上がって、足を洗ったのです。
そして、弟子たちには新しい戒めとして、互いに愛し合うように語られました。
それはイエス様が弟子たちを愛したようにです。

最後まで愛された。
それはイエス様が捕えられて十字架で処刑されるために、弟子たちから引き離されてしまうまでの最後の瞬間までと言う意味もあるでしょう。
しかし、真の意味は、イエス様はでしたちを、そして私たちを決して見捨てずに最後まで愛してくださるということです。

ペテロもこの後、逃げ出します。三度もイエスを否定して捨てます。
しかし、イエス様は見捨てず、愛し続けてくださるのです。
愛してくださっていたのです。
そのことが分かるのは、イエス様が処刑されてからです。
私たちは鈍く、愛のない者なのです。
でも、だからこそ、イエス様から愛を受け取らなければ、私は互いに愛し合うこともできず、隣人を愛することも知らないまま生きることになります。

イエス様は愛の方。愛しなさいと、教えらるから、私は愛を知るのです。

主は、裏切る者さえも愛してくださる。
イエス様の元へ戻ってくるようにと、愛を注いでくださるのです。
先に、先に愛してくださるのです。
あなたの愛を受け取る者としてください。
あなたにすがる者としてください。
愛のないはずの私が、互いに愛し合えるように導いてください。アーメン。

受難週の二日目の歩みが祝福されますように。
シャローム