「イエス・キリストのしもべ、ヤコブの兄弟ユダから、父なる神にあって愛され、イエス・キリストによって守られている、召された方々へ。」ユダの手紙 1節 (2017新改訳)
聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、ユダの手紙です。
緊急の手紙です。
緊急の手紙を書くのは、受け取り手を本当に愛して心配するからです。
短いけれど大切な手紙です。私はとても好きな手紙です。
著者は自分はユダだと名乗ります。ヤコブの兄弟のユダだと名乗ります。即ち、イエスの弟のユダです。(マタイ13章55節などに弟ユダの名前があります)
ユダは、弟のユダとしてではなく、イエス・キリストのしもべとして生きることと喜びとしています。
そして手紙の受け取り手たちと同じように、御父と御子によって愛され、守られている身であることと告白します。
それだけではなく召されているのだと告白するのです。
ユダも読者も同じ目的のために召されています。
そしてその与えられた使命を果たすことができるように守られ導かれているのです。
それは御国の建設に従事することであり、救い主を隣人に愛する友人に紹介することです。
そしてそれを実現するためのしもべとして生きる毎日が、敬虔に生きることであり、信仰を固く保つことです。
しかしそれとは反対の生き方をして、大いにそれを宣伝し、誘惑して仲間に引き込もうという放縦な生き方をする人たちがいます。
この人たちは、自分の欲望のままに生きる人であって、神と隣人を愛する人ではありません。16節。
この人たちは、とても立派ことや魅力的なことを口にし、成功や豊かな富みが手に入ることを口にします。
けれどもその誘う道の先は滅びです。
ユダも同じ祝福にあずかっていると告白しています。
報酬ではなく恵みとして受け取り、しかも受け取った後も、守り導かれているのです。
恵みを受け取った私は守られているだけではなく、召されています。
ユダと同じように、自己紹介の最初に「キリストののしもべ、召されている者」と、大胆に確信を持って語れるように日々歩みたいものです。
シャローム