受難週に入りました。
今日からイースターの日曜日まで、ヨハネの福音書を12章から読み進めて、イエス様の歩まれた十字架への道を辿ることにします。
 
「すると、イエスは彼らに答えられた。「人の子が栄光を受ける時が来ました。」ヨハネの福音書 12章23節 (2017新改訳)
 
 イエス様が栄光を受ける時が来たのだと、イエス様の口からこの言葉を聞いて、弟子の内の一体誰がその本当の意味を知ることができたでしょう。
 それはまず、イエス様が人々に捨てられて、十字架に架けられて死ぬことを示しています。
 そしてイエス様を捨てるのは、弟子たちも同じなのです。
 そこには私もいます。
 貴方もいるのです。
 
 一粒の麦が地に落ちて死ぬならば、それは多くの実を結ぶのです。それはイエス様のことです。
 栄光の時は、明るい陽射しを浴びる時ではありませんでした。
 人々に嘲られ、敵対しイエス様を憎む者たちが喜びの声をあげる時です。
 しかしその時が、真の栄光の時の始まりです。
 
 そしてこのことは、旧約聖書のイザヤ書で既に預言されていたことでした。
 弟子たちも誰一人、そのことに気がついていません。
 迂闊です。
 私たちは、やはり神さまのことばを聞いていない者なのです。
 今日からの八日間を、特に心を定めて、主の声に耳を傾けて行きたい。
 
 主よ。私の耳から騒がしい音を取り去り、私の心から疑い迷いを取り去ってください。
 そして主よ。あなたを愛して、あなたに素直に従える心と、聞くべきを聞ける耳を与えてください。
 あなたの愛で満たされる八日間となることを切に祈り求めます。
 
シャローム