「私たちは、自分たちの神の宮での礼拝のために、毎年シェケルの三分の一を献げる義務を自らに課す。」ネヘミヤ記 10章32節 (2017新改訳)
民は、悔い改めてもういちど神の民、神のしもべとしてこの地で仕えていくことを告白していきます。
そして自ら献げ物を持って来ることで神に仕えることをことを明らかにしたのです。
献げ物を誰がどのように持って来て献げたのかは分からないと思うのか。
神は、すべてをご存知であると知った上で、正しく献げようとするのか。
自由なのです。
歴代誌第2、24章7節などを読むと、かつてアタルヤが、神の宮に献げられるべきものをバアルの神々のために用いていたと記されています。
神の宮の物を盗み、偶像の神々に贈ったのです。
大きな罪を犯していた過去があったのです。
今、悔い改めて修復された城壁に守られて新しく神の民として歩み始めようとする人々は、その心を自ら進んで行う行動に表したのです。
「自らに課す」
強いられてでもなく、惜しみながらでもなく。
感謝と喜びを持って自ら献げる。
そのような民の心がこの言葉に表れています。
直前の30節には、神を信じない民との関係を完全に絶つことが告白されています。
今、彼らは新しくされて、自ら進んで神の民としてふさわしくありたいと願っています。
一人の思いと、民全体の思いが一つになって、神に向かっています。
城壁再建という外側に見える信仰の回復が、彼らを徹底的に心の中から信仰を回復させてくれたのです。
神がご自分から御子の命を犠牲にされました。私たちは自ら進んで、その心を一心に神に向けたいものです。
シャローム