「土地は、買い戻しの権利を放棄して売ってはならない。土地はわたしのものである。あなたがたはわたしのもとに在住している寄留者だからである。」レビ記 25章23節 (2017新改訳)

「わたしのもの」
神、主は、ここに続く箇所でも、イスラエル人はわたしのもの、わたしのしもべだから、奴隷にしては倣い、奴隷として売ることはできないと厳命します。
主はイスラエルの人を愛してくださっています。一方的な愛と言えるでしょう。
カナンの地をイスラエル人に与え、そこに先住して神に罪を重ねていた者たちへの厳しいさばきがありました。
しかしイスラエル人がカナンの先住者から奪ったのではありません。
土地は主のものなのです。

ここ23節までで語られるのは、土地の売買というのは、そこで収穫される実りの売買なのです。
土地を売ることも買うことも許されません。
何故なら、土地は最初から最後まで主のものだからです。
これは一般的な人の常識、所有する権利とは根本的に違うのです。

主のもの。
主が創造し、主が主権者であるからです。
私たちは、在住することが許された者なのです。それも愛されたから、失敗しても欠けばかりがある者でも、愛されて住まわせてもらえているのです。

所有欲は、人を神に背かせ、他の罪をもおかさせます。
しかし主を、主と認め手しもべとして生き、主の元に在住するなら、恵みは増え、平安があるのです。
私たちが生きるこの世界は、土地も含めて主のものであることを認めることができたのならば、主の愛も知ることができます。
シャローム