「さらに、彼は彼らに言った。「行って、ごちそうを食べ、甘いぶどう酒を飲みなさい。何も用意できなかった人には食べ物を贈りなさい。今日は、私たちにとって聖なる日である。悲しんではならない。主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ。」」ネヘミヤ記 8章10節 (2017新改訳)
民の全体が水の門の前の広場に集まりました。
祭司のエズラが律法の書を開いて読み、神をほめたたえます。
人々も一緒になって主を賛美します。
レビ人は、律法を解き明かします。
人々はそれを理解し、自分たちの罪の深さに恐れて悲しんだのです。
しかしその時、ネヘミヤ、エズラ、レビ人は、民に向かって悲しんではならない、今日は聖なる日なので喜ぶように教え導きます。
「主を喜ぶことは、あなたがたの力だからだ」
このことばは確かであり、私たちが今、聞くべきことばです。
この日だけでなく、今も聞くべきことばです。いつも聞くべきことばです。
主を礼拝し、賛美します。
そして主を喜ぶのです。
主がいてくださること、私とともにいてくださることを喜びます。
それが私の力となり、私たちの力となります。
私たちの生活は今、困難な状況にあります。
この時、彼らは水の門の前にいったいどれくらいぶりに、何年、何十年ぶりに集まることができたのでしょう。
再建されたとはいえ、城壁、宮を眺めれば、貧しく悲しみや不安が、初め彼らの心を覆ってしまったのでしょう。
その上、過去の罪を示され悔い改めた者には、悲しみしかなかったかも知れません。
しかし主を賛美し礼拝できたことは喜びなのです。
主を喜ぶことです。立派なものは必要ありません。
主を愛する心、賛美する心で一つになれば、主を喜べるのです。
喜ぶのです。
その喜びは私の力になります。
集まり方は変わっても、賛美の方法は変わっても、主を見上げて喜ぶことができます。
その時、私たちは力を受けます。
受難日の苦しみの金曜日。
悲しみ、下を向くばかりの土曜日。
しかし、私たちは知っています。復活の朝、日曜日に主とお会いし、賛美できることを知っています。
喜びの日曜日が与えられています。
シャローム