「あなたがたは、イスラエルの子らをその汚れから離れさせなさい。彼らが、彼らのただ中にある私の幕屋を汚し、自分たちの汚れで死ぬことのないようにするためである。」レビ記 15章31節 (2017新改訳)
15章の前半は男性の性器からの漏出物による汚れについての律法であり、後半は女性の月のさわりについての汚れへの律法です。
この規定を読むと驚くのは、細かな規定が定められていること。
汚れてしまったときには、そこからきよくされるまでの規定もまた細かいことです。
このように細かなことが定められており、汚れに対してここまで定められていることに驚きます。
しかしそこには主の私たちへの愛があります。
何らかの病が広がることを避けるために定められているという面もあるでしょう。
主が、イスラエルの民の生活の中での健康にさえも心を向けてくださっている、守ってくださっているのです。
私たちをさばき、退けるための規定ではありません。
そして同時に、私たちはここ31節にあるように、日々の生活の中で、汚れから離れることに心を向けて、心を向け続けて行かなければならないことを教えられるのです。
気がつかないままと言うよりも、心を向けて注意することを欠いてしまって、主の前に汚れを抱えてまま出てしまうことがないようにしなければいけないのです。
主は、私たちの汚れをきよくしてくださる方です。
しかし私たちは、自分の罪と汚れを気にしないままで主にお会いすることがないようにするのです。
汚れを意識することは、全能で愛の神の前で、謙遜に生きることに繋がります。
きよくしていいただける、罪を赦していただけるからこそ、罪と汚れを意識し、汚れから離れて過ごすことを求めるのです。
そこには、確かに主の助けがあります。
シャローム