「しかし、彼が強くなると、その心は高ぶり、ついに身に滅びを招いた。彼は自分の神、主の信頼を裏切った。香の壇の上で香をたこうとして主の神殿に入ったのである。」歴代誌 第2 26章16節 (2017新改訳)

人は同じ過ちを繰り返すものなのでしょうか。
次の王ウジヤも初めは主の目にかなうことを行ない、王である彼と国は主に祝福されて繁栄します。
領土も広がり、安定します。
前の節には「彼が驚くべき助けを得て、強くなったからである」と、主の助けがあってウジヤ王が強くなったことを示します。
主の助け、繁栄、堕落、さばき、叫び、悔い改め、回復。
この繰り返しです。士師記の時代、分裂王国の南ユダの王たちが、みんなそうなのです。

ウジヤも高ぶると、聖別された祭司しかしてはならない神殿で香をたくことをしようとします。
主を礼拝し、主に香をたき、いけにえをささげる。
主を信じているならば、香をたくことをしたいと願っても許されるのか、許されるべきだと、王は考えたのかもしれません。

しかし、その心は高ぶりであり、主の信頼を裏切ることでした。
驚くべき助けを与えてくださった主を裏切ったのです。
この行為は、主に従うことではなく、主を裏切る行為でしかなかったのです。

強くなったとき、順風のときにこそ、主への従順が問われるのです。
主は、私を驚くべき助けを与えてくださる方です。
その助けと恵みを忘れないようにしたい。
心に刻みたい。
シャローム