「神はモーセに言われました。「わたしはあわれもうと思う者をあわれみ、いつくしもうと思う者をいつくしむ。」」ローマ人への手紙 9章15節

ここでは、神様が私たちのことをあわれみ、いつくしむのだと、語っています。
誰が、あわれもうと思っていただけて、別の誰がいつくしもうと、思っていただけるのか。
それぞれに当てはまる人がいるということではないのです。
本来ならば、神の前に価値がないと言われてしまう者を、神があわれみ、いつくしんで選び出してくださっているということです。
言い換えるならば、ある人のことは可哀想だと思い。
別の人のことは大切に思う。
そういう差が、区別があるのではないのです。

そして、ここで大切なのは、神様があわれもう、いつくしもうと、思ってくださったので、神様の子ども、教会の神の家族としていただけたということです。
これは神さまの方から発しており、一方的に神様からいただくものです。
人の側には、何も積極的な行動や訴えるべきものはないのです。

ただ、ただ神様が私をあわれもう、いつくしもうと思ってくださった。
大きな神様の愛がスタートであり基盤です。
だから、今の私がいます。

シャローム