「目覚めよ、目覚めよ、デボラ。目覚めよ、目覚めよ、歌声をあげよ。起きよ、バラク。捕虜を引いて行け、アビノアムの子よ。」士師記 5章12節
デボラが女性のさばきつかさとして主に立てられ用いられた様子は4章に記されていて、ここ5章は繰り返しの内容です。
今朝、心に留まったのは、12節のこのことばでした。
「目覚めよ」
この頃のイスラエルの子らは「新しい神々」もちろんそれは偶像の神々ですが、主を捨てて自分が好ましいと思う神々を慕っていたのです。
そんな民が苦しみを経験していくとき、主はあわれみの心を示されて、民を助けるためにデボラを用いてくださったのです。
しかし、そのデボラが主の召しに答えて立ち上がるのには、主からの「目覚めよ」との声を4度、聞かなければならなかったのです。
目を覚まし、新しい神々などと偽る民の眠りこけている信仰と違って、デボラは目覚めて、真の神、主の声を聞き、主を見て、見上げるのです。
それでもデボラが立つのには、主の声を4回聞かなければなりませんでした。それも2度づつを2回繰り返されて、立ち上がるのです。
デボラも特別に優れていたのではないのです。
主が、愛と忍耐を持って導かれ、用いられたのです。
それはまた、私たちも特別な人でなくても、主が声をかけてくださり用いてくださるということです。
不安なら、2度、4度と確信が持てるまで、主は諦めずにきっと語りかけてくださる。
いつも目覚めて、主の声を聞ける私でいたい。
シャローム