「イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。おまえが生きていて、そのおまえの顔をみたのだから。」 創世記46章30節

エジプトへと移り住むことを決断して旅立ったイスラエルに、主が現われて、再び約束を確認してくださり、ヤコブを祝福し守ることを語ってくださるのです。
どこまでもいつくしみ深い神様であり、約束を変えることのない方であることが、こうした人生の大切な決断と行動する場面で明らかにされます。
弱い私たちは、こうしていつも励まされます。

そしてエジプトへ到着したイスラエルはヨセフと再会し喜びを味わうのです。
その時の告白です。
「もう今、私は死んでもよい」とは、驚く表現ですが、死の願っているのではありません。
これまでヨセフが死んでしまったと思い、悲しみ苦しんだ年月が、この再開で慰められ解決したのです。
イスラエルが思っていた「死」のその先に主の与えてくださる真の「いのち」があり、主とともに生きる喜びがあることが、分かったのです。
死んでも生きるのですと、イエス様は語られました。
ここでも死の先に、主の与えるいのちがあることをイスラエルが知ったことが示されます。

移住した人々の名前を丁寧に記す時には「ヤコブ」と記します。
ヤコブの名前を出すことで、人の世の命を示すようです。
反対に、大切な場面では、主の約束と恵みを示すために、主がヤコブに与えた新しい名前であり、主との契約の名前である「イスラエル」が出されます。
こうして名前をも通して、主の与えるいのちと約束の恵みを教えてくれる46章です。

死を恐れないで、主が与えてくださる約束、永遠のいのちに希望をおいて日々を歩みたい。

シャローム