「ダビデは、そこに主のために祭壇を築き、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げた。主が、この国のための祈りに心を動かされたので、イスラエルへの主の罰は終わった。」サムエル記 第2 24章25節 (2017新改訳)

聖書66巻から1つの書を選び、その書を紹介しながら「みことば」を味わっていきます。
66巻をゆっくり読み進めながら、聖書に記された神様の愛について味わっていきます。
今日開いたのは、サムエル記 第2です。

サウル王の死からダビデ王国の確立で始まるサムエル記第2です。
イスラエル国家というよりは、ダビデを中心にした出来事、史実が細かに記されます。
それは歴史の史実を記します。そこには王となったダビデの罪も記されることになります。
同時にダビデが主を信じる王として歩んだ姿も教えてくれます。

信仰の友人であったサウルの息子ヨナタンとの、真実の関係を守るために遺児には恵みを施します。
この時代の王であれば、先代の王の血族は完全に葬り去って、自分の地位を守るものですが、ダビデは主の前に正しく、愛とあわれみの行動を取ります。
ダビデは王として優れていますが、一番の優れている点は信仰者として、主のことばに従うことです。
それは罪を犯しても、自分で解決を図ったり取り繕うのではなく、悔い改めて、主の解決と赦しを待つことに現れています。

第2の最後は、残念がらダビデが主のみ心を損ねて、人口調査をして罰を受ける出来事を記します。
自分の力を誇るように民の数が増えていることを数えるのは間違いだったのです。
しかしその中でもダビデは悔い改めます。
主の前に悔い改めたダビデはいけにえをささげて祈ります。

「祈りに心を動かされた」との、ことばは大切です。
21章14節にも同じことばがあります。
どのようなときでも、砕かれた心とたましいをもって、主に誠実に素直に祈るならば、主は答えてくださるのです。
動かされるとは、なんとも凄いことだと思います。
全能で愛の方である主が、私たちの祈りに答えて、み心を動かしてくださるのです。

動くはずがない山が動く、そんな祈りの力を示します。
主は、山をも動かすほどの大きな恵みで、私たちの祈りに答えてあげたいと、私たちが必死に信じて、しかし素直に祈るのを待っていてくださるのです。
苦難の中、混乱や不安の中、痛み悲しむ中で解決や平安を受け取れる主のみ心を動かす祈りが私たちには与えられているのです。
祈らない手はありません。

主は私の祈りに答えることを恥とは思わないで、惜しみなく与え答えてくださるのです。
み心を動かす祈りをしたい。
シャローム