「荒馬のひづめの音のため、 戦車の響き、車輪のとどろきに、 父親たちは気力を失い、子どもたちを顧みない。」エレミヤ書 47章3節

バビロン軍の侵略が激しく恐ろしことを、47章は示します。
その侵略の様子は、すべてを押し流して破壊する洪水のようであり、人々は泣き叫ぶことしかできません。
そして、侵略はさらに増すのです。

ここ3節は、侵略の脅威を、音で現します。
「荒馬のひづめの音」「戦車の響き」「車輪のとどろき」と、侵略者の恐ろしい武器から聞こえる音を、三重の表現で表しています。
非常に強い力であることと、その恐怖を現すのです。

その恐ろしさは、父親があまりに恐ろしくて、戦い対抗する力を失っていまし。
なんと、自分の子どものことを気づかうことを忘れてしまうほどの恐ろしさだと、言うのです。

そして最後に6節になると、その脅威が実は主のさばきであることを「主の剣」という表現で現します。
恐ろしいのは、侵略者の力が大きいからではなく、主を信じて歩まないからです。
反対に、どんなに侵略者の力が大きく恐ろしくても、主を信じる人たちは、泣きわめくようなことにはならないことを示していると言えます。
侵略者を恐れるのではなく、主を信じることが大切なのです。
侵略の形、恐怖の形が、その力がどんなに変わっても、主を信じる者は、恐れなくてよいのです。
主は、変わることがない方であり、信じる者を幾重にも守ってくださるからです。

シャローム