「神は、「新しい契約」と呼ぶことで、初めの契約を古いものとされました。年を経て古びたものは、すぐに消えて行くのです。」 ヘブル人への手紙 8章13節

イエス様を信じて救われるとは、何か曖昧な感情的なものとか、心にそう信じているだけのものではないのです。
私たちの人生を根本から変革するものです。

そして信じたということは、神様と私たちの間で契約が結ばれたということです。
私たち人と人とは、契約は相手との合意があって成立しますし、価値があるものです。
しかし救いの契約に関しては、私たちが一方的に益となる契約です。
神が契約を私たちに一方的に与える契約、それも私たち一方だけが益を得る恵みの契約です。
私たちは契約のために対価を差し出すのことなく、この恵みを信じるだけなのです。

その上、この契約は、かつてモーセをとうして与えられた契約を「古い契約」としてしまいます。
古い契約を私たちは完全に守ることができませんでしたが、新しい契約はモーセの契約を古いものとした完全な契約です。
何が完全でしょうか。
私たちが守るのではなく、与えてくださった神が守り、既に完全にしてくださっている契約です。

もちろんモーセの契約が意味がなく価値のないものではありません。
私たちが守れなかったできなかったという事実が、新しい契約の必要を知ることになりました。
そして、できなかったことに支配されることなく、イエス様の恵みと犠牲によって、私たちは新し恵みの契約の中で生かされているのです。

一方的な恵みがあるということを覚えたい。

シャローム