「パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちと一緒に食事をしているのを見て、弟子たちに言った。「なぜ、あの人は取税人や罪人たちと一緒に食事をするのですか。」」 マルコの福音書 2章16節
引き続き2章です。
カペナウムの町での出来事です。イエスさまが活動の拠点の一つにしておられた町で食事をしていたのです。
イエスさまにとってはごく自然な暖かな食卓でしたが、厳格に律法を守ろうとするパリサイ派の人にとっては驚く、いや、忌むべき食卓と見えたようです。
ここで言う罪人とは「犯罪者」ではなく、律法学者などが当時の細かな律法に照らして、それを守っていないと言うことで罪人と定めている人のことです。
取税人とは、ローマの税金を集める人ですから、ユダヤにとっての裏切り者のような人たちであり、また、横領する人がいたようで、罪人と同じように思われていました。
当然彼らは、律法を守る上で、罪に近づかないようにと、考えて彼らとは交流をもちません。
一緒に食事をするなど考えられません。
彼らは、自分たちは神に選ばれ、愛されている正しい人だと自負しています。
取税人や罪人とは違うと、自分を誇っていたのです。
しかし、それが間違いです。
神の前には彼らもまた、罪人であり、罪を自覚しない点では、彼らこそ罪が深いのです。
罪を憎む義なる神さまが真の神さまですが、この方はあわれみ深い神さまでもああるのです。
罪人に神さまの方から近づき、ともに歩んでくださることで、罪人が悔い改める機会を与え、導かれるのです。
イエスさまと一緒の食卓につき、イエスさまに導かれて悔い改め、赦しを与えられるべきなのは、自分であると自覚することが大切なのです。
罪人をさばこうとして、遠ざける人は、その遠ざけた人こそが、自分の姿であることを知らない罪人なのです。
しかし、イエスさまはそんな私に近づいてくださり、一緒に食事をしてくださる愛を現す方です。
シャローム