「しかし、ファラオはまたも心を硬くし、民を去らせなかった。」 出エジプト記 8章32節

ファラオは、蛙の災害、ブヨの災害を経験し、主に祈るようにモーセに願います。
しかし、モーセが祈って、災いが去ると、またも約束を破って、イスラエル人を解放しないのです。

何故でしょう。
災いには、ファラオもエジプトの呪法師たちでも対処できませんでした。
主が災いを止められない限り、それはできないのです。
それなので、モーセに祈ってもらったのです。
でも災いが去り、一息つくと、イスラエルの民を失うのが惜しくなるのです。
愛しているから失いたくないのではありません。
多くの民を、王である自分が所有しているのだという、力を誇りたいと思うのでしょう。

でも一番の問題は、民を去らせて明け渡すことができないことではなく、ファラオ自身が、自分の心を主に明け渡していくことができないのです。
心を硬くして主を拒み、我を通すのです。

私たちはどうでしょうか。
苦しい時には主に祈り求めますが、日々、主を愛して主に心を明け渡しているでしょうか。
心を硬くしていると、主の声が聞えません。
そうすると、私が本当にすべきことが見えないのです。
心を柔らかくして、主の声を聞いて、なすべきことを果たしたいものです。

シャローム