「こう言った。「閣下。人を惑わすあの男がまだ生きていたとき、『わたしは三日後によみがえる』と言っていたのを、私たちは思い出しました。」 マタイの福音書 27章63節

昨日は、受難日の金曜日を覚えて過ごしました。今日は、土曜日です。
マタイの福音書には、イエス様が十字架で処刑されて死なれた後のことが数節にわたって記されます。
祭司長、パリサイ人はピラトのところに集まります。
折角、嫉み憎んだあげくに、十字架で殺すことに成功したのに、弟子たちにイエス様の亡骸を使って、新しいことを企てられては困ると考えたのです。
ここで彼らはイエス様のことばをピラトに告げています。
彼らは、よみがえりについて語ったイエス様のことばを聞いていたのです。
そして恐れたのです。

よみがえりを信じるのではなく、そのことばを弟子たちが利用して自分たちに対抗してくるのではないかと恐れたのです。
そしてピラトの力を借りて、墓を封印し、番兵で見張ります。
弟子たちが亡骸を盗み出したりできないようにしたのです。
そのつもりでした。
しかし、それはイエス様が確かに死んだことの証拠となりました。
そして、封印され見張られていた墓の内側からイエス様がよみがえられたことを証しすることになるのです。

65節でピラトは祭司長たちに「できるだけしっかり番をするがよい」と告げます。
人のできることで神様の業を止めることなどできないのです。それを自分たちから証しすることになるのです。

祭司長たちは、イエス様を信じてることで受け取れる平安と喜びのすべてを自分たちの嘘と愚かな策略で、手放し失うのです。

イエス様の語ったことばを素直に聞ける人はなんと幸いでしょうか。
土曜日には、自分では何もできなくても、希望の日曜日が与えられているのです。

シャローム