「また、残りの銀と金の使い方については、あなたとあなたの兄弟たちが良いと思うことは何でも、あなたがたの神のみむねにしたがって行うがよい。」エズラ記 7章18節 (2017新改訳)

続いて、アルタクセルクセス王が、律法学者であるエズラにエルサレムに戻り、そこでの再建工事と献げ物を献げていくことに全権を委ねてくれます。
金と銀を進んで献げることを許してくれるのです。
これは凄いことです。
南ユダ、エルサレムはバビロンによって滅ぼされた国です。
その国の宮を再建し、そこで自由に神に献げることを王が許してくれているのです。
その上、必要であれば、王室の金庫から支出することまで許可してくれるのです。

神、神が働かれるとは、こういうことなのです。
ユダヤの国ではない国の王の心さえも動かしてくださる。

そしてこの王は、語るのです。
何でも自由に行って良い、銀も金も用いて良いと、言うのです。
王は、惜しみなくエズラに与えます。
許す、許可するとは、こういうことでしょう。
制限などつけない。惜しまない。委ねてくれる。

その上で、一番大切なことを示してくれます。
良いと思うことをせよ。
ただし、神、主のみむねにしたがって、良いことをせよです。

これがキリスト者、主イエスを愛する者の自由です。
私たちは、何でも自由にできる。させていただける。
私が思うまま、私が良いと思うなら、できるのです。
それは、主のみむねにしたがっているかどうかだけ、問われます。
主の前に、恥じることなく、臆することなく、惜しまず良いことをおこないたいものです。

主の初めの日、主を礼拝する日です。
一人一人愛をもって、思うまま主を礼拝し、隣人を愛することをおこないたい。
シャローム