「イエスは酸いぶどう酒を受け取ると、「完了したと言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。」ヨハネの福音書 19章30節

今年の受難日を覚える金曜日ですので、十字架の死について記すヨハネの福音書から記すことにします。
詩篇22篇15節「私の力は、土器のかけらのように乾ききり」とのことば。
詩篇69篇21節「私が乾いたときには酢を飲ませました」が、成就したことを、28節からのことばは教えてくれます。

いえいえ、16章33節でイエス様は「わたしはすでに世に勝ちました」と語られました。
このことばが、この十字架の死で完全に成就したのです。

イサクは、父アブラハムの言葉に従順に従い、自分を献げるためのたきぎを背負って山に登りました。
しかし、そこには身代わりのいけにえが父なる神によって備えられていました。
信仰によって父のことばに従い時、アブラハムとイサクはそれを受取りました。
イエス様は、たきぎの代わりに十字架を背負い、ゴルゴダの丘に登りました。
そして父の計画に通りに、ご自分をいけにえとして献げました。
死を経験することで完了したのです。

この時、十字架の下に来ていた母マリアと愛する弟子には、新しいイエス様を真ん中にした母と息子の関係が新しく与えられました。
イエス様を信じる者は、イサクがいけにえを見つけたように、かの日に必ず信仰の結実を見ます。
そして信じた時から、新しい関係が神様との間と、信じる者との間で始まっているのです。

すべては完全に完了しています。
十字架の死とよみがえりは、勝利しかありません。
完了しています。不完全なものはかけらもありません。

ただ、イエス様の十字架の死を見て、そこに身代わりの死と、その三日後のよみがえりを信じるのみです。
完了しているので、何も付け足すこともありません。
疑う人はなく信じる人になれたことを喜びたい。

シャローム