「だが、わざわいだ、パリサイ人。おまえたちはミント、うん香、あらゆる野菜の十分の一を納めているが、正義と愛をおろそかにしている。十分の一もおろそかにしてはいけないが、これこそしなければならないことだ。」ルカの福音書 11章42節
わざわいだと、イエス様に言われてしまうのは、悪をおこなったからではなく、自分を正しいと、それも他人よりも正しいと、誇るからです。
自分を誇る人は神と人を愛しません。
一つ前の節に「内にあるものを施しに用いなさい」と、ある通りなのです。
主であるイエス様は、心の内にあるものを差し出して、神様に仕えることを望んでおられるのです。
しかし、パリサイ人は自分を誇り、献げものをしている自分を誇り、その上、いかに自分が正しい信仰者であるかと見せかけることに力を注ぎます。
この人たちは、神の義を知らない人であり。
神様を心から愛していません。
ですから、隣人を愛することも知らないのです。
それどころか、他人をさばき、罪人だと言って、交流も避け、自分ばかりをよく見せようとするのです。
しなければならないことはわずかです。
まず、主のことばを聞くこと。これが最初で最後のことです。
そして、イエス様が愛したように罪人と呼ばれる人を愛していくのです。
愛することは、多額の献金を献げることに勝っています。
その人は幸いです。
シャローム