「~これは反芻するが、ひづめが分かれていないので、あなたがたには汚れたものである。」レビ記 11章4節 (2017新改訳)
主は民に、食べても良い動物と、食べてはいけない動物について教え命じます。
理由があります。
汚れた動物は食べてはいけないのです。
聖である主に愛されている民は、聖でなければならないので、汚れた動物や忌むべき生き物を食べて、自分の身を汚してはいけないからです。
ひずめが完全に分かれており、反芻するものは食べて良いと言う、基本があります。
また、水の中に生きるものも、ひれやウロコのないものは食べてはいけないのです。それらは忌むべきものだと、示されています。
ウロコのない魚は、水底の泥の中を住み家とするものも多く、そのため食べると健康を害する危険が高いからだと、指摘する生物の専門家もいると、聞きます。
この食べてはならないという命令は、民の健康を守るための律法との理解も可能です。
しかしそれが全てではありません。
聖なる神が罪人である人、しかし聖なる神が愛してくださっている罪人に命じるのです。
その生き物は汚れているから、食べてはいけないとの命令です。
主のこの命令が絶対なのです。
主が、聖ではない、汚れていると教えます。そして食べるな、また触れるなと命じます。
主のこのことばを守ることが、聖であることへの道です。
主のことばに従うのかどうか。
自分には好ましく思えるから食べるのか、触れても構わないと、答えるのか。
主は語り、しもべは聞きます。
私たちは、聞き従うことで、なにが聖で、何が汚れなのかを知るのです。
聞き従わないところには、聖なる神に近づくことはありません。
聖に近づくことを求め、聖なる神のことばを求め、従って歩みます。
シャローム